福岡地方裁判所 昭和43年(わ)71号 判決 1969年4月11日
被告人 福田政夫
昭一八・五・一六生 学生
主文
被告人は無罪。
理由
第一
(一) 公訴事実
被告人は、米原子力艦艇佐世保寄港阻止斗争に参加するため、昭和四三年一月一六日午前六時四五分着の急行「雲仙、西海」号で福岡市三社町所在国鉄博多駅に下車したものであるが、同日午前六時五〇分ごろ、いわゆる三派系全学連所属学生約三〇〇名位とともに、同駅南集札口に通ずる南旅客通路に立ち塞がり、シユプレヒコール、演説などを行ない、一般乗降客らの通行を著しく困難ならしめたので、直ちに同駅長野中定次らにおいて、十数回にわたり、同駅構外への退去を要求したが、これに応ぜず、不法に滞留し続けたため、博多鉄道公安室長前田光雄において、被告人らを不退去罪の現行犯として排除しようと決意して、警察官に右排除の協力方を要請し、同日午前七時三六分ごろ、右要請により出動した福岡県警察機動警ら隊勤務巡査片岡照征らにおいて被告人らを同駅南集札口外へ排除しようとした際、被告人は、前記通路において、同巡査の胸部に、ヘルメツトをかぶつたまま頭から突き当り、右足関節部を蹴りつける等の暴行を加え、もつて同巡査の前記職務の執行を妨害したものである。
(二) 検察官の釈明
(イ) 被告人は、他の学生約三〇〇名とともに、博多駅南旅客通路一杯に広がつた隊列の中にあつて、同通路西端寄り付近に位置し、「エンタープライズ寄港反対」「全学連は戦うぞ」「機動隊はかえれ」「機動隊は道をあけろ」等のシユプレヒコールに唱和した。
(ロ) 被告人は、他の学生と同様ヘルメツトをかぶり、ジヤンパーを着用し、ズボンをはき、バツクスキンの革靴をはいていた。
(ハ) 被告人は、一般乗降客らの通行を著しく困難ならしめていることを認容していた。
(ニ) 退去要求をしたのは、博多駅長野中定次のほか、同駅長の命を受けた同駅庶務助役田中欽弥、同駅改札助役近藤佐賀男、同駅庶務掛山本一城ら、および当時の博多鉄道公安室長前田光雄ならびに同室長の命を受けた当時の同公安室公安主任深川種彦である。
(ホ) 片岡巡査らは、被告人ら学生の到着やや以前にホテルニユーハカタ付近に配置され、要請を受けて同所から出動した。
(ヘ) 駅構外への退去要求は、基本的には国鉄総裁の有する鉄道施設管理権に基づくものであるが、駅長については「営業関係職員の職制及び服務の基準」(昭和三七年八月一七日総裁達第三六三号)第七条に、鉄道公安職員については鉄道公安職員基本規程(昭和三九年四月一日国鉄総裁達第一六〇号)第二条ないし第四条に基づくものである。
(ト) 博多鉄道公安室長において、被告人らを不退去罪の現行犯として排除しようと決意して警察官にその協力方を要請し、片岡巡査らにおいて右要請に基づき出動し、被告人らを集札口外へ排除しようとしたことの法律上の根拠は、次のような法律上の見解に基づくものである。
すなわち、およそ鉄道公安職員及び警察官は、現に犯罪が行なわれている場合は、逮捕状なくして直ちにその犯人を逮捕し得るのであるが(刑事訴訟法第二一二条、第二一三条)、かかる場合の現行犯人の逮捕は犯人の検挙と同時にこれによつて現に行なわれている犯罪鎮圧の機能をも併せ持つものであるところ、現に犯罪の行なわれている場合であつても、その犯罪の性質、態度、四囲の状況等にかんがみ、特に犯人として直ちにこれを逮捕し、身柄を確保するまでの要はなく、単にその犯行を制止することによつてこの犯罪鎮圧の目的を遂げ、公共の安全と秩序を維持するに十分である場合には、右鎮圧に必要な制止行為のみをなしうるものと解することができる。けだし、鉄道公安職員は鉄道公安職員基本規程第二条ないし第四条により、また警察官は警察法第二条にかんがみ、現に犯罪が行われている場合その犯人に対して発動することの許容されている強制力の行使を当該犯罪鎮圧のために必要な限度に止めて行使することは、当然法の許容するところと解し得られるからである。
(チ) 南集札口階段上の南旅客通路上における渦巻デモに巻き込まれたという鉄道公安職員の氏名は、明らかでない。
(三) 被告人および弁護人らの陳述の要旨
(イ) 被告人を含む学生が当時博多駅で下車したのは、エンタープライズの佐世保寄港の反対運動のため佐世保へ赴く途中であつた。
(ロ) 本件機動隊は学生の佐世保行を断固阻止するために博多駅南集札口を封鎖したものであり、学生の滞留は不退去罪を構成するものでなく、しかも排除のための実力行使は必要な限度を超えたもので、引き続き行なわれた身体検査、所持品検査は相手方の同意承諾を得ていないので、どの点から見ても本件機動隊の行動は適法な職務執行ということはできない。
(ハ) 被告人は前記通路から階段へ機動隊員から押されたり、突き飛ばされたりしている際、突然逮捕されたもので、片岡巡査を蹴ることもできず、到底暴行を加えられるような状況ではなかつた。
第二当裁判所の判断
(一) 事案の経過概要
証拠(略)を綜合すると、次の事実が認められる。
(イ) アメリカ合衆国の原子力空母エンタープライズが佐世保へ寄港する旨の政府発表に伴い、昭和四三年一月一四日いわゆる反代々木系三派全学連の学生らは法政大学に集り、佐世保市でその反対運動を行うことを決め、翌一五日朝東京駅から下り急行「雲仙、西海」号に乗車することになつた。ところが、学生らは法政大学を出て飯田橋駅へ行く途中、警視庁機動隊と衝突し、学生多数が逮捕された。それでも、それを逃れた学生を含めておよそ一〇〇名前後の学生が東京駅から「雲仙、西海」号に乗車し、静岡、関西諸駅、広島から乗車してきた学生を併せて約三〇〇名位が、翌一六日午前六時四五分定時に博多駅に到着した。学生らは反対運動の拠点を九州大学教養部におくため、博多駅で下車した。学生らは列車進行中も報道陣に追い廻され、鉄道公安職員らの物々して警戒のため、車外から覗き込まれないように旗を垂らせたり、扉に施錠したりしたということである。
(ロ) 一方、国鉄当局は、学生らが右のような博多駅で下車するとの情報に接し、同月一四日付門司鉄道管理局長名をもつて福岡県警察本部長宛に、不祥事態の発生に備えて警察官の警戒を要請するとともに、その際警察官の鉄道地内への立入を承認する旨の文書を作成したうえ、翌一五日午後一時ごろ博多鉄道公安室長前田光雄がこれを警察当局に持参して警備を申し入れた。同時に急行「雲仙、西海」号の沿線各駅での警戒も厳しく、静岡、大阪各駅では角材、プラカードの車内持込を拒んだり、また学生らのうち広島駅で乗車した者六〇名位が短距離の乗車券しか持たぬ乗越である旨の情報も入つた。警備要請を受けた警察当局は、翌一六日早朝機動隊を博多駅に派遣して警戒に当らせたが、同日午前六時三〇分ごろには、そのうちの第一大隊第三中隊が南改札口付近に、第一中隊第一小隊、第二小隊が南集札口横のホテルニユーハカタ前付近に、第一中隊第三小隊が南集札口横の駅事務室前付近に、いわゆる出動服姿で待機していた。このほか、南集札口付近には第一大隊第二中隊も待機していたし、北集札口付近にも別の警察官が配置されていた。
(ハ) 学生らは、「雲仙、西海」号から下車するとともに、プラツトホームで隊伍を整え、五、六列の縦隊を組んで歌を歌いながら南旅客通路を通つて南集札口手前の階段に差し掛つた。南集札口外に待機していた機動隊は学生の姿が階段上に現れた途端、集札口前に横隊で並び、その後一時その中央付近を開いたが、それもまた次第に埋められた。学生も隊列の先頭が階段の上に来て、集札口前に並んだ機動隊の姿を見るや、その場に立ち止り、そのうちの一人が肩車に乗つて学生らに向つて事態の説明を始め、遂には携帯マイクを使用するに至つた。そして、学生らは一斉にエンタープライズ反対や「機動隊は帰れ」「機動隊は道をあけろ」とシユプレヒコールを繰り返した。
この間、学生三〇名位が階段下の集札口手前の料金精算所や臨時に設けられた精算所で乗越料金や急行料金の精算をし、また約六〇名位がプラツトフオームを通つて北集札口から平穏に駅構外へ出た。
(ニ) 学生らは当初南旅客通路の片側に立ち止つて集札口外の機動隊と対峙していたが、やがて同通路の半分より広めに位置を占め、その周囲には駅員や鉄道公安職員のほか多数の報道陣や物珍しげに集る乗降客もあつて、通路上に人が溢れ、次第に学生集団の幅が拡がつてきて、この付近の通行が円滑にできない状態になつた。駅側は、構内放送で乗越等の料金精算を促す放送をするとともに、駅員のほか駅長自身も携帯マイクですみやかに集札口を通つて駅構内から退去するよう呼びかけ、鉄道公安職員や駅員らもそれぞれ同旨の掲示文を貼つた掲示板をもつて学生群の中を歩き廻つた。しかし、このような駅側の退去要求に対して、学生はその場を動かず、駅員に対して、機動隊が通路を塞いでいるのだから、機動隊に道をあけるよう伝えてくれ、道があけば我々も駅から出る、と言つていた。
(ホ) ところが、午前七時三〇分を過ぎるに至つて、学生集団の後部付近にいた鉄道公安職員(作業服姿の者も含めて)が、先ず学生集団の後尾にいた女子学生の間に割り込んで集団から切り離し、南改札口から駆け上つてきた機動隊第三中隊とともに後方から学生集団を階段や集札口方面へ押し始めた。
学生集団の先頭にいた者らは、女子学生の悲鳴や後ろのざわめきで、始めて後方の事態を知り、隊列の向きを変えるため、ワツシヨイワツシヨイと掛声をかけながらスクラムを組んで右の方へ旋回し始めた。このとき、集札口前にいた機動隊第一中隊の各小隊が集札口を越えて階段を駆け上り、階段上の通路にいた学生を囲んで、通路北側の壁に向つて圧縮したうえ、一人宛曳き出しては、機動隊員の並んでいる中をいわゆる順送りで階段の方へ移し始めた。
(ヘ) 被告人は、当初隊列の先頭から三、四列目あたりにいて退去要求をする駅員に対して、機動隊に道をあけさせろなどと言つていたが、右のような圧縮規制で壁側に押し込まれたうえ、曳き出されて順送りされた。本件はまさにこの時点における公務執行妨害罪の成否である。そして、被告人は、この時階段上の通路で順送りに従事中の片岡巡査(第一中隊第二小隊所属)に対する暴行容疑で、階段途中において同巡査から現行犯人として逮捕されたのである。
(二) 職務の適法性について
(イ) 国鉄側から警察当局への警備要請は、さきに見たとおり不法行為の発生を予想しているのであるが、その不法行為なるものがどのような事実の態様を指しているのかにつき証人野中定次、同近藤佐賀男(第二回および第三回公判)同田中欽弥の当公判廷における各供述によれば、国鉄側としては学生のうち乗越あるいは無札乗車をした者に対する正規の運賃料金の確保を考えていたことが明らかであり、また、証人熊江謙之輔、同上田豊、同田中正美、同片岡照征、同中山政人、同前田光雄の当公判廷における各供述によれば、警察当局や鉄道公安室では、学生による駅集札口の集団突破ないし強行突破とその際これを阻止せんとする駅員や鉄道公安職員との間のトラブル(暴行、傷害等)を予想していたことが認められる。(なお、右証言中には、学生が角材や石等凶器に類する物の所持を予想する警察官もいたことが窺えるけれども、前示のように、すでに列車進行途中で学生の行動についての情報が集められており、車内へ持ち込もうとした角材やプラカードを拒んでいることから考えると、警備側としては学生が角材等を所持していなかつたという情報を得ていたと見得るので、この取締目的で出動したとは到底考えることができない。)その他に何らかの目的があつたかどうかはともかく、一応警備側が公表する強行突破の阻止目的をそのまま採るとすれば、前掲各証言によつて認められるように、東京都内で過去強行突破された経験をもつ駅側としては、この点を強調してそのために警察官の応援を得て駅の集札口付近で学生らの強行突破に対処しようとしたこと自体をこの段階でとやかく言うことはできないと考える。
そこで、出動した機動隊の警備配置について、さきに説明した状況をさらに仔細に検討すると、さきに挙示した証拠のうち司法警察員二宮昭雄撮影の写真8ないし16、同田中大司撮影の写真8、10ないし12、14、鉄道公安員坂口一志撮影の写真ネガ番号1の4、鉄道公安班長鶴原初亀撮影の写真その一の<17>は、いずれも各写真に付された時間から見て学生集団が階段上に現れた時(午前六時五二分)から機動隊の実力行使(午前七時三七分)に至るまでの間の断片的記録ではあるけれども、これらを時間的に配列して辿つて行くと、その時間中集札口前両側に機動隊員のヘルメツトが幾重にも重なり合つて並んでおり、次第に集札口前に拡がつて行き、報道陣も加つて、集札口前一杯に拡がつていることが看取できる。これからすると、機動隊がかなりの層の厚さで密集して集札口前を埋めていた状況であつたと言うべきである。もつとも、証人上田豊、同中山政人の供述中には、これらの写真が撮影角度や遠近感の不明瞭なことを殊更強調して、必ずしも当時の状態を如実に再現したものでないかのごとき供述部分があるが、そのような写真の特質を十分考慮に入れてもなお右各写真から機動隊の密集した状況を否定することができないばかりか、却つて忠実な記録として、当時の情景を彷彿させるものであると言わざるを得ない。また証人熊江、同上田、同片岡、同中山の右各供述中、機動隊が学生の立ち止つたのを見て集札口前に拡がつた隊形を学生の現われる以前の位置まで戻した旨の供述部分、中でも一、二分でもとの位置に戻つた旨の供述部分は、右各写真に照して、これをそのまま採ることはできない。
ところで、問題は学生が階段上で立ち止り、機動隊と対峙した時点で、学生のうち早速料金精算を行つたものがいることである。このことはさきに説明したとおりであるが証人近藤佐賀男(第二回および第三回公判)、同井上正治および被告人の当公判廷における各供述や鉄道公安班長鶴原初亀撮影の写真その一の<3>(この写真に付された午前六時五三分という撮影時間と説明部分をも含めて)を綜合すると、女子学生をも含めて三〇名位の学生が、友人の分も併せて料金の精算に来たが、その態度は極めて素直であつたことが認められる。当公判廷での他の証人の供述は、学生と機動隊の動きにのみ目を奪れてか、この点にまで触れていない。このように、学生のうち乗越や無急(急行券を買い求めていない)の者としては、料金を精算しようとする態度であつたのであるから、この事実は、彼らが料金不払のまま集札口を突破しようとする意図のないことを示したものと見ることができる。国鉄当局者が過去に強行突破されたということを中心に、学生らが博多駅へ到着するまでの行動をも併せてこの時点においても同様の事態が発生するのではないかとの推断は、当局者の目前で示された事実(それに、博多鉄道公安室が受けた情報では広島駅から六〇名位が短距離の乗車券で乗車したというものであつたことさきに説明したとおりである)によつて修正を余儀なくされたと言わなければならない。すなわち、当初のかなり切迫したかのように見えた強行突破の濃厚な危険性はこの時点では極めて薄いものに消褪したと言う他なく、従つて、この事情の変化に応じてその阻止の必要性の度合も減じたものと言うべきである。このような状況を十分見得る位置にあつた駅側および警察側が、それにもかかわらず集札口前の前示警戒態勢を解かずに維持していたことは、それを正当化する根拠が極めて薄弱であつたと言わなければならない。
なお、右認定は、学生のうち北集札口を利用したものが、同集札口の外に警備が布かれていたことを考慮に入れなければならないとしても、極めて平穏に駅構外へ出たこと(証人前田光雄の当公判廷における供述)、結果的ではあるが、全部終了した乗越料金と急行料金の精算の集計が三十数人で六十数件、約八四、〇〇〇円であつたこと(証人近藤佐賀男の第二回および第三回公判、同前田光雄の当公判廷における各供述)からも裏付けられる。
(ロ) 次に、学生が南集札口手前の階段上に立ち止り、駅側の度重なる退去要求にも応ぜず、その場を動かなかつたことはさきに認定したとおりである。問題は、学生の滞留の事実について、そのことのみを採り上げて評価するのは妥当ではなく、かかる状況をもたらした諸状況まで含めて考察すべきである。
そこで、前示のように、機動隊が集札口の外を埋めるようにかなり層の厚い密集隊形を組み、一旦は中央付近に通行できる程度の間隙を設けたとは言え、両側に立ち並んで、いつでも通行を阻止できる態勢にあり、そのまま集札口から構外へ出るには機動隊員と触れ合うか、あるいはその眼前を通行することになること、しかも、その機動隊が学生だけを目当にかかる隊形を布いていることは誰の目にも明らかであり、学生としては前日のいわゆる飯田橋事件で多数が逮捕された直後ということもあつて、ここで集札口を一歩でも出れば、何らかの理由でその途端逮捕されるのではないかと惧れたのも、あながち根拠のない危惧として一概に排斥できないこと、のみならず、学生にとつては佐世保へ赴くのが主たる目的であつて、その途中、況んや博多駅頭で殊更混乱状態を起そうなどとは毛頭考えていなかつたことは被告人の当公判廷における各供述、証人岡本史紀に対する当裁判所の尋問調書によつて明らかであり、さらに、このような学生が通路に留まるに至つた状況は学生が自ら招集したというよりは、駅側と連携した機動隊の作出した事態というべきであつて、それ故に、退去要求をする駅員らに対して、学生らが口々に「機動隊が道を塞いでいるのだから、機動隊に道をあけるよう伝えてくれ、道があけば我々も駅から出る」と訴え、敢えて旅客通路に滞留する意図のないことを示したけれども、駅員らは一向そうしないばかりか、ただひたすら学生らに外へ出ろと繰り返すばかりであつたこと等の諸事情を併せ考えると、このような状況のもとにおいては、学生が躊躇なく集札口外へ出ることができたというわけにはいかない。
本来、旅客通路は正規の乗降客である以上、他の乗降客に迷惑を及ぼさない限り、その円滑な通行を妨げられることはない。この理は、ヘルメツトをかぶつているということを除けば、正規の乗車券を持つている者は勿論のこと、乗越等の者も料金を不当に免れようとする態度を明確に否定しているので、正規の乗降客とさして異ることのない本件の学生についても同様で、さきに説示したように危険の可能性の著るしく消失しかかつた状態でなおかつ継続された前示のような警戒態勢を受忍すべきいわれはない。学生が佐世保に赴いてどのような行動をとろうとも、博多駅におけるこの時点の行動に違法状態が具体化されたのでなければ、すなわち法益侵害が確実視されて切迫した危険状態に立ち至つたと認められない限り、彼らに対し駅舎への出入まで規制するわけにはいかない。
もつとも、駅側が学生に退去を求める根拠として、鉄道営業法第四二条第三号、第三五条を挙げるけれども(証人野中定次、同前田光雄の当公判廷における各供述)、前記の諸事情を無視して、形式的に同条項を根拠とすることができないばかりか、その他滞留による公衆への迷惑を口実に退去を求めることはできないと考える。従つて、単に要求を受けて立ち去らなかつたという一事だけをもつて直ちに不退去による違法状態が成立すると断定することはできない。機動隊が完全な封鎖隊形でなく、幾人かの通行が物理的に可能な程度に通路をあけていたからと言つて、いつでも学生の行動を阻止できる状態である以上、右の判断の妨げとなるものではない。
そうすると、現に犯罪が行われている以上、これを鎮圧するのが警察官の当然の責務であるとはいえ、不退去による違法状態の成立を前提としてなされた機動隊の圧縮排除の実力行使もまたその根拠を失うものと言わざるを得ない。
なお、右の圧縮規制は学生らが渦巻デモを始め、それに鉄道公安職員が巻き込まれそうになつたので、警察官職務執行法第五条に規定する場合に該当するとして規制した旨の証言(証人片岡照征、同中山政人、同前田光雄)も見受けられるけれども、その証言自体明確を欠くうえ、鉄道公安員坂口一志撮影の写真ネガ番号一の6、同大坪十四郎撮影の写真その一の<13>、<14>、鉄道公安班長鶴原初亀撮影の写真その二の<11>と対比してもこれを採ることができず、他にこれを認めるに足る確証がない。それに、右の圧縮排除は専ら不退去状態の除去のためになされたものであつて、鉄道公安職員云々は南集札口から出動するきつかけに過ぎないので、これを根拠にすることもまた理由に乏しいというべきである。
(ハ) 従つて、前示排除行為に従事した片岡巡査の職務執行もまた適法なものと断ずることはできない。
(三) そこで、被告人の片岡巡査に対する暴行の有無について検討する。本件の全立証中この点に関する直接のものとしては、これを否定する被告人の当公判廷における供述や検察官に対する昭和四三年一月一八日付供述調書以外には、証人片岡照征、同中山政人、同奥田信行の当公判廷における各供述を措いて他になく、この証言中には、片岡巡査が前示排除行為としていわゆる順送りをしていたところ、突然被告人が小走りで出てきて、同巡査の目前で急に頭を下げてヘルメツトをかぶつたまま胸に頭突きをするとともに、左足で同巡査の右足首を蹴り、階段の方へ逃げ出したこと、同巡査は胸にぶつかられて息がつまりそうになり階段の方へ落ちかかつたが、後から誰かに支えられたため倒れずにすんだこと、足にも相当な痛みを感じたけれども、直ちに追跡し、階段の途中で逮捕したという供述部分がある。これだけを採り上げてみると、被告人が同巡査に暴行を加えたことはまぎれもない事実のように見えるのであるが、この点については、右証拠だけでなく、その前後の状況、特に階段から通路へ上つた付近の全体的な状況を仔細に検討すべきであると考える。そこで、被告人の当公判廷における供述および検察官に対する右供述調書(司法警察員作成の送致書を含む)、証人井上正治の当公判廷における供述、証人岡本史紀、同原香代子、同吉野雅邦、同池上仁に対する当裁判所の各尋問調書、司法警察員松本忠男撮影の写真2、3、11、12、同田中大司撮影の写真15、同二宮昭雄撮影の写真17、19ないし23、同伊藤剛撮影の写真1、6ないし8、鉄道公安班長鶴原初亀撮影の写真その二の<1>、<5>、<7>ないし<9>、<12>、司法巡査井上邦彦撮影の写真1ないし9、鉄道公安員坂口一志撮影の写真ネガ番号一の8ないし10、13ないし15、同大坪十四郎撮影の写真<6>ないし<9>、<11>、同二場博文撮影の写真その一の<15>、<16>、その二の<F>、押収してある録音テープ一巻(昭和四三年押第九一号の三)および司法警察員作成の「三派系全学連学生の国鉄博多駅下車時状況等の録音について」と題する書面、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書を綜合すると、博多駅南旅客通路における機動隊の圧縮後の排除行為は、学生と機動隊が密集し混乱した中で行われたものであるけれども、それも精々十数分位でほとんど終つたこと、学生は次から次へと順送りされ、階段を転ぶように降り立つて集札口近くに群がり、やがて鉄道公安職員らに促されて集札口を通り出場するという状況が認められる。さらに、当時の混乱は被告人が誰かを目指して小走りできるような空間的余裕もないうえ、被告人と片岡巡査とは何ら個人的な関係もなく、順送りのため居並ぶ機動隊員の中で、末端にいたわけでもない同巡査に頭突きをするというのは不自然であること、しかも、排除の際機動隊員に手出しをすれば直ちに逮捕されることを十分知悉しており、殊更騒動を起して逮捕されれば、佐世保における反対運動にとつて効果がないだけでなく、運動力の低下をきたすに過ぎないことが認められ、これらを併せ考えると、前記の証言部分はいかにも不自然であると言わなければならない。このことは、被告人の逮捕時のものと思われる前顕写真中二宮の21、伊藤の1、井上の9によつて認められるその付近の状況や前顕録音テープ中の被告人が逮捕された後警察官や報道陣に向つて「何にもやつてないぞ、何んでおれを検挙したんだ、聞かせてくれよ、何んだよ、おれは何にもしていないぞ」と必死に叫び続けていることによつても裏付けられる。
そうすると、被告人が順送りされる際、これに携つていた機動隊員片岡巡査と接触したことまでは十分窺うことができるとしても、これをもつて直ちに暴行と断じ得るか構成要件該当性は極めて疑わしいと言わざるを得ない。
第三結論
以上説示のとおりであるから、結局本件公訴事実は証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 真庭春夫 富田郁郎 白井博文)